とりあえず、急ぎ読みの感想

ひとがた流し

ひとがた流し

久しぶりに北村先生の長編を読んだ。
だからなのか、私にしては珍しく、読み始めはつっかえつっかえ、
ページを行ったり来たりしつつ時間がかかった。
(外国の本だと、人物名とか地名とかがイマイチ頭に入ってこなくて、
そういった事態によく陥るのだけれど。)
もしかしたら、登場人物の年齢や職業が、自分と遠いものだからなのかもしれない。
確かに外国並みだ。納得。

でも登場人物たちの心に浮かぶ言葉は、いつもの北村先生の言葉なので、
その辺はすんなり入ってくる。

あらすじはまったく知らなかったので、どんどん読み進めていった。
そして話は意外な方向へ。

私はまだまだ、年齢も人生経験もひよっこだから、この本が言わんとしている事の全ては
まだ飲み込みきれない。
病院で働いてはいるが、「あと何年です」という宣告をされた患者さんと密に接した事が無いし(IDと生年月日、カタカナで表記された氏名くらいだ)、
身近にもそうしたケースは無いので、そうなってしまった人の生活や仕事への思いははかり知れない。
しかも、彼女はある思いを持って、熱心に仕事をやってきた女性だ。
いまや女の人がいろいろな現場に進出しているのは当然のことではあるが、
彼女の時代ではそうではない。
だからこそ、われわれの世代の女の人の何倍も仕事への思いというのは強いはずだ。
(負け犬だなんだって言ってるどころじゃないと思う。)
それが、こんな形で…。
救いは、途中で現れる“スズキさん”なんだけど…。

う〜ん。

ちょっとここで、私は困ってしまうのだ。
北村先生の本は好きだ。
優しくて、好きなんだけど。
同じことを“ターン”でも思った。
ターンの真希がすっと元の世界に戻る。
しかも、愛する人の元に。
これが、ちょっと納得いかなかった。
甘いんじゃないか、と。
同じ本を読んだ同級生(男)に聞いてみた。
ラストは甘くないかと?
そしたら、「じゃあ、あのままやられちゃえば良かったってこと?」
と言われてしまった。
そうじゃないんですけど。

ターンを初めて読んだときは、真希と一体化してたので、
早く繰り返しの世界から抜け出したくて、あの男からも逃れたくて、
好きな人たちの待つ元の世界に戻りたくって、まさに手に汗握って読んでたから、
戻れて嬉しかった。
けれど、繰り返し読むにつれ、これは違うんじゃないか?と、疑問に思うようになった。


いや、戻ることはいいんだな。
真希の気持ちが、簡単に言うと前向きに、生産的になって、生きる喜びを取り戻せたから
元に戻れたのは良い。納得。
う〜ん。
そこに男がからむのがイヤなのか。
内なる声とシンクロした彼は、真希の気持ちを元に戻す後押しをしたという事では、
いいのだけど、真希と出会ってしまうのがイヤなんだなきっと。
真希と彼は電話出来てお母さんには出来ないところから、彼は真希の運命の人なんだけど、
そう安易に会えてしまっていいのか?という所なのかな?私が納得いかないのは。
易々と、大切な異性に出会えてしまうことへの嫉妬なのか?

ターンの話になってしまったけど、今回もそうだ。
そう簡単に、大切な人がホイホイ現れてしまうところがダメなんだな。
千波の残された日々を支えるには愛してくれる人を、という配慮?
友達には見せられないから、家族?
だから現れた?


人生、そう甘くないよ。
と、半分しらけてしまう。
千波の気持ちになりきって読んでる時には安心するし、嬉しいんだけど、
話を追っている私はあきれてしまう。

“盤上の敵”は極端だけど、簡単に良い人が現れてしまうのはどうかと思う。

もともと私は幸薄いほうだし(笑)、
入院患者さんに接するようになって、嫌でも家族構成とか見るようになると、
そう恵まれた(?)というか、“普通の”家庭とか人間関係ってなかなか無いものだ。
もちろん千波の友達の、牧子も美々も訳有りだけど。

ただそのタイミングで、彼と千波を引き合わせちゃう〜!?って思いと、
そのまま良い関係になっちゃうの〜!?って思いが、ちょっと引っかかって素直に楽しめない。
まぁ、これが北村先生の良い点であり、困った点でもあると私は勝手に思っている。


全体としては、やっぱり北村作品なので安心して読めたし、読後も
(例の問題は別として)気持ちよかった。
女の友情はいいよね。